なぜkimiiroは、“真面目で生きづらい”をテーマにしているのか

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 こんにちは。kimiiroの矢守です。

今日はそもそもなぜkimiiroが“真面目で生きづらい”をテーマにしているのか、ということをお話していきます。少し長くなってしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

僕自身が経験した、“真面目で生きづらい”ということ

 ひとことでその理由をお伝えするとすれば、僕自身が“真面目で生きづらい”ということを経験したから、ということになります。どういうことなのか、順を追ってご説明していきますね。

 僕は大学を卒業してから新卒として、とある印刷会社の営業職として入社しました。大学生の時、自分なりに就職活動を頑張ってなんとか内定を頂いた会社です。当時は、就活というものに苦戦していた時期ということもあって、なんだか自分を認めてくれたような感覚があり、それは喜んだものです。

 実際、親身になってフォロー頂いた人事の方には、大変お世話になりまして、今でも感謝の気持ちは忘れません。入社動機としても、クリエイティブな仕事で社会に役立ちたいという強い想いがあったものですから、やる気満々で入社することになりました。会社に対してそれだけご恩を感じていたので、早く結果の出せる人材となりたいなと思った程です。

 ここまで読んでもらって分かるように、僕はなかなかに真面目な気質だったのです。

社会の厳しさを味わい、自分を責め続けることで鬱に

 さて、そんないわゆる真面目な学生が入社したわけですが、入社してからどうだったのでしょうか。結論からお伝えしますと、鬱になって最終的には駅で倒れることになります。

 なぜそんなことになったのでしょうか。みなさんも薄々お気付きかと思いますが、それは“真面目がゆえに”なのです。

 社会に出ると、厳しさの中で生きるということに急にさらされることになります。結果を出して当たり前の世界です。特に現代は不景気や人手不足という情勢から、例え若手であってもなるべく早く利益を出せる人材になることを求められます。学生時代までは真面目で頑張るということが良い子扱いされるわけですが、社会に出るとそうはいきません。真面目な性格だろうがそうでなかろうが大事なのは結果なのです。

 さて、そんな社会に出た僕はどうなったか、ご想像の通り、そんな結果重視の世界に適応できない状態になっていました。真面目な気質なので、指示されたことはできるだけ100%で返そうとしますが、いきなりはできるわけがありません。当然のように注意を受けるのですが、そのたびに、「このままではいけない」「ミスをする自分が悪い」と真面目がゆえに自分を責めるという思考に入ります。

 そうすると自分を追い込んでしまいますから、余計にミスが増え、さらに注意され、さらに落ち込んでしまう、という負のループに入ってしまうのです。一度、その負のループに入り込んだら、自分で抜け出すというのは至難の業です。気づいたときには、時すでに遅しで、最終的に駅で倒れることになります。

真面目な人にありがちな、周囲からどう見られているかを気にしすぎるという気質

 真面目という気質は自分を責めがちという以外にも、人に優しいという特徴もあります。それは人の気持ちが良く分かるので、何が求めていることが良く分かるということです。こういうと聴こえは良いですが、裏を返せば、人にどう見られるかということに敏感だということになります。

 会社の中でミスをしている自分、ゆえに落ち込んでしまっている自分は、周囲からどうみられているか、ということが気になって仕方がないのです。周囲のことが気になりすぎると、本来のパフォーマンスは発揮されなくなります。半減してしまうか、いえ、体感としてはそれ以下になることもあると感じます。

 僕自身も上司や同僚、取引先などから、どう見られているのか気にしすぎて、常に気が張っている状態でした。そうすると社内でのコミュニケーションも営業先での話でも、ぎこちない感じになってしまい、「この新人大丈夫か?」といったような印象を与えていたと思います。 社会人なのだから、そういう考え方をまず変えなさい、といったようなアドバイスが溢れていますが、長年そうやって生きている人にとっては、そんな単純な話ではないわけです。これまでの人生をどう生きてきたかという、もっと根深い話なのです。

真面目な人は、自分に対するハードルが高い

 もうひとつ真面目という気質の持つ人の特徴は、完璧主義だということです。別の言葉で言い換えるなら、自分に課すハードルが、普通の人よりも高いということです。それが良い方向に作用するば、それは素晴らしい成果をもたらすのでしょうが、残念ながら僕はそうでなかったようです。

 真面目がゆえに、人から求められることが良く分かる→認めてもらいたい→高い水準のものを提供したい→勝手にハードルをあげる→少しのミスも異常に気にする→自分に納得がいかない→どんどん自信がなくなる、、、

こういった負の構造でしょうか。

 実際、見積もりを作成するとき、僕は常に満点を狙いに行くわけですが、そんな上手くいくわけもなく、何度もミスをするわけです。そのたびに自分で自分自身の評価を下げ続けることになります。もしかしたら上司はそこまで求めていなかったかもしれないですが、そんなことお構いなく自分でハードルは上げてしまいます。

予約のとれないメンタルクリニック

 そんな僕の真面目な気質がゆえに、とにかく会社に行くのが辛くなっていくのでした。体調にも変化が現れます。腰痛が激しくなる、朝起きれない、食欲がなくなる、胃腸が痛くなる、声が小さくなる、よくある鬱の症状だと考えられます。2年目のある日、ついには大阪駅のホームで倒れてしまい、医務室に運ばれるまでになります。

 もちろんそうなる前に、一度、メンタルクリニックに診察に行こうとしましたが予約がとれず1か月待ち。今しんどい状況なのに1か月は待てません。上司にはそもそも関係性がうまく構築できていないので相談できず。同僚には相談できたとしても、根本的な解決には至らない。かといって休職や退職というのは当時の自分にとってあまりにもハードルがありました。

 

 そもそもメンタルクリニックに受診できたとしても、診断書と薬は出してくれますが、それ以上にまで踏み込んだことはなかなかできません。僕は“治療”を望んでいたわけではなく、本当に相談したいのは“生き方”そして“働き方”なのです。僕もそうですが、真面目で生きづらい人にとって、真面目という性格について肯定的に捉えている人は随分と少ないのが実情だと思います。もっというと、自分が真面目ということにすら気付いていないかもしれません。繊細な気質にコンプレックスを感じている人さえたくさんいるでしょう。

 そんな人が本当に望むもの、それは“治療”ではないのだと僕は思うのです。治療が必要だとされるのは、ある意味で真面目な気質を否定されるようなものです。メンタルクリニックは“治療”をするところであり、僕たち真面目で生きづらい人が本当に望んでいるものを与えてはくれません。だからこそ、治療が必要になる前になんとかする必要があるのです。鬱病も重症化してしまうと回復までに時間がかかってしまうものです。

 また、余談にはなりますが、行政には就労支援はあったとしても働いている人に向けての相談場所というのはほとんどないのが現状です。これは後に僕自身が、行政の相談機関に働いていた経験をしたのでよく分かることです。行政としてのサービスは構造上の問題でどうしても限界があるものです。つまり、真面目で生きずらさを抱えながら働いていた僕にとって、最適な相談先がなかったのです。

“真面目で生きづらい”人が自分らしい色で生きていけるように

 だからこそ、僕は自分が経験したからこそ共感できる苦しみ“真面目で生きづらい”という人に、少しでも楽になってもらって、自分らしい色で生きていけるようなサポートをすることが役割だと思うようになったのです。kimiiroという名前にもそんな意味が込められています。僕自身は、後に、自分自身の真面目で生きずらいという状態を少しづつ認めることができるようになり、今も自分とよく向き合いながら生きていけています。なぜそうなれたのかは、後の機会に詳しく書いていきたいと思います。

 さて長々と、なぜkimiiroは、“真面目で生きづらい”をテーマにしているのか、についてお話をさせて頂きました。同じように真面目がゆえに苦しんでいる人たちに届くことを願っています。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。ではまた!

kimiiro 矢守

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